予測力のつけ方がわかった!

読まないといけないなと思いつつなかなか読まずほっておいた文章がある。
沢木耕太郎さんが書いた予測力について論説だ。
作家がそもそも予測力について書くことに不自然さを感じていたのだろう。
コンビニエンスストアで売られているような、ヒットしたテーマをA4サイズに再編集した本だからか
ほっておいた切り抜きだった。
もうあまり書かなくなった作家だし、とも思っていた。


朝が遅くなってそんな時に限って急ぎの仕事をすぐさまやろうという意欲に欠けていて
スローなスタートを切った今日、沢木さんの文章が目に飛び込んできた。
切り抜きを講義の材料にするために床一面に広げていた時に目に飛び込んできた。
重要なテーマの論文に出会うというのはこういうじれったくなるような状況なんだと読み終えておもった。


沢木さんの論説は今までの悩みが氷解するような傑作だった。


沢木さんはこう言う。
予測力は<情報力>と<判断力>に分けられる。僕もこうだと思う。
沢木さんは情報力と判断力の間に実は想像力というのがブリッジするものがあって
想像力というのは将来をすごく簡単なストーリー、セオリーとしてうけとる能力だと。


小豆相場師が「小豆は誰でも食べるし、アフリカのような新興国の需要がこれから生まれてくれば
市場が衰退することはまずない、だから賭けうってでる」というような
<マクロな原則+濃い思い>がセオリーになって大きな判断につながると。
そういうと、このようなセオリーは若くして成功した経営者から何度も聞いたことがある。


ただこのことだけを書くとso what、すこしおばかさんな想像力だけれど
経験を重ねて、事実を積み重ねたベテランな人たちは、情報と判断をつなぐものとして
体が覚えている感覚のようなものをストーリー、セオリーという形で持っているのではないか。
長い間、スポーツ選手や冒険家、賭博師を観察してきた沢木さんならの観察だ。


予測力は情報力+判断力だけれど
あいだをつなぐ感覚的・直感的な想像力があり
その想像力は実行して成功失敗の判断を繰り返した中で体が覚え概念化したものということになる。
沢木さんはストーリー、セオリーにするためには、賭けるか賭けないかぎりぎりまで思考し続け
土壇場で一歩前に進むか後退するか、その際の意識行動と成功失敗を焼き付けることだという。


またこうも言っている。
予測できないことが起きた時は判断しどきであり、人生の予測できないことが起きるからこそ
自己の予測力を磨くチャンスなんだと。