Thinkpad的ものづくりと、アップル的ものづくり

 久しぶりにThinkpadx201sを使ってみて、なんにも変わってないなと思う。製品の表情も、キーの質感も、キーを押し込んだ時の重み、深さも何にも変わらない。質実剛健というのか、ハード屋さんの機能性の考え方が伝わってくる。一つ一つ満足不満足を見極めた結果いいものはいい、変えずに行くというね。人間観が固定的というか。


 それに比べてアップルはソフト屋さんね。進化していくよね、操作感覚を時々革新してくる。マックのWISWIG、iPodのスクロールホイール、iPhoneのアイコンタッチ…進化していくのが魅力かな。でもね、Thinkpadのね、変わらないこともね、改めて大切だと思った。体が覚えた打鍵の感覚が思考のリズムを産み出す。単純な反復動作している時に、創造的なアイデアが浮かぶ感じか…。


 x40s、x61s、x300と断続的にIBMレノボを使ったきて、今回のx200sの1.1kgという軽さへの驚きはあるけど、風情というのかなあ、ほんと変わらんよ。まあ、これから9月出版のために大量の原稿を書くうえで<タイプライター>だと認識しているわけだから、変わらぬキータッチであることが求めていたわけだけどね。機械としての優秀性っていう。


こだわってものづくりしている人が背後にいるんだろうな、変えないぞって言い切る人がね。こだわるユーザーがいればこそかな。


(追記)
 そうそうiPadって、大半の操作をディスプレイ上で行うことでソフト屋さん発想で設計できるようになったってことね。それはそれで凄い。