常にオンラインであることの意味

僕はいつでもどこでもネットにつながっている生活にこだわっている。


携帯電話以外に小さな端末を常に携帯し、ネットに接続しウオッチしていることが多い。
昔、いつも本を携帯して、暇さえあれば本を読んでいたことが懐かしい。
本でしか得られない情報の奥行きがあってできれば本を携帯したいと今も
思っているのだが、結果的には端末だけ持ち歩いていることが多い。


なぜだろう?


自分の行動にはある合理性が働いていると考えている。
思考行動特性の中で合理性が強いからだ。


一匹狼で仕事を始めて3年になるが、異質な人材や環境との出会いが
明らかに減っている。
今日も昨日と同じだと思ってしまう。
これがとても哀しい。


経験量が相当量あるからどうしてもいつか見た光景になる。
営業や生産にかかわる行動は熟練を要求され、熟練はパタンを生み出す。
それが成果にもなる。
だからいつもみた景色は哀しいけれど必要悪なんだ。


この類似性、同質性をしばし忘れてくれるのが
自分と思考行動が真逆なブロガーのつぶやきであり、生い立ちも環境も年齢も国も
違う人たちの素晴らしい思考プロセスだと、そう自分は無意識で感じているようだ。


すごい類似性の高いリアルな生活と異質で飛躍的なバーチャルな生活をつなぐものが
オンラインなんだと考えている。
異質経験こそ人生を豊かにするものだと、人生も後半に入った自分の最大の結論である
ように思う。