人生を振り返るのが嫌いだった

 事情があって70代の母に自分の子供時代を聞くとすでに忘れていることが多く、もっと早く聞いておくべきだったと思った。当たり前のことだけど、記憶というものはどんどん薄くなり、情報量が減っていく。それは歳をとっていくに従い勢いがつくものなんだ。
 自分を振り返ってもそう思う。20代だと小学校低学年のことが鮮明に思い出されても、40代ももう後半になると小学校時代の記憶は指で数えることができる程度だ。ほんとうに悲しかった、うれしかったと、せつない思い出だけだ。


 人生を振り返るのは嫌いだった。
 懐かしいなあとか、あの頃はよかったなあとか、人生の後半であっても未来に可能性を信じてきた僕にとってそれは堕落であり、現状維持思考につながると考えてきた。積極的に過去は忘れようと強く思った。今と未来しかないと考えることで現状を打破することができると考えてきた。


 50代が手に届く歳になって、遅まきながらちょっと違うと考えている。キャリア、つまり人生の方向性はどうもプラン→ドウ→チェックしていくようなリニアなものではなくて、あっちいってこっちいって、その時々で最大限機会を生かしつつも、結果的にそこには道ができているというようなもの。過去の明晰な振り返りなくしては成立しない構造なんだ。過去の詳しく振り返ることが人生の道を形成することになる。毎日振り返りたくないけれど、まとまった時間を使って整理分析してみよう。直感だけれど、僕は思いのほか構築的なもの、体系的な思考を求めているように思う。

 加えて、この歳にならないとキャリア像は明確にならないということなんだな。アップルの創業者S.ジョブスのスタンフォード大学の講演(点と点をつなぐという講演の部分)の意味もここにきてようやくわかった気がする。


この点的キャリア論は大学院時代学んでいたことも思い出した。
恩師金井壽宏先生の論説、もう一度調べ直しておこう。