未来を想像し書く行為のすばらしさ

 古くからつきあいのある広告代理店で新人のキャリアトレーニングをしている。
 20代前半の若者に、人生とは何か、5年、10年先を見通して計画を立てよというのは無理があるワークをやってもらっている。
 最初は新人の全員が不安な顔をしている。一人前になることが当面の目標、仕事を覚え、毎日こなすだけでも十分へとへとでその先なんて考えられない、馬鹿いわないでほしいという感じだ。広告業界暗黙知が相当に必要な業界なので一人前になるというのはけっこうハードルの高い作業だ。もっともだと思う。


 二日間かけて、できること、したいこと、すべきこと一つづつ書き出して自分の過去と未来を言語化しA4一枚の白紙に苦しみつつ書き込んでいく。書いているうちに想像力がはたらきストーリーがうまれ、象徴的な映像が作られ、夢中になっていく。全員がそう簡単に言語化、視覚化できるわけではない。早熟もいれば晩成もいるわけでその発展プロセスもさまざまだが、報告されるキャリアプランにかなり厳格な構造物を感じるし、社会のため、人のためと天下国家を語る子も何人かいて、日本は捨てたものではないと思う。「子供たちが人生に愛着を持てる社会をつくる」「日本固有の文化に誇りを持てるような活動を続ける」と言う。ぼくはこういうキャリアの考え方が好きだ。


 書いていくうちに眠っていた理性が呼び起こされ、自分の社会や会社の中での価値に目覚めていく姿に僕は途方もない可能性を感じる。


 それに遠い将来を設計することで毎日の理不尽な苦しさもまた将来の糧になると考える余裕が生まれる。遠い将来像がなければただ日々苦しいだけと思うのだ。
 ただただ日々がんばるというのも一つの答えだけれど、それだけでは自分に、人生に意味や価値を見出しにくいと思うのだ。


 多少軋轢はあっても将来を想像し、社会、企業との関わりを俯瞰していくことをやってもらおうと思う。書く行為はほんとうに想像力を作るいい道具なんだ。