深い思考、とは何か

 自分の判断が最善なのかどうか厳密な判断が必要な年齢になってきたね。あるだけの可能性を提示して最善の判断になるように評価するとか、複数の関係者の複雑に入り組んだ欲求を実現するとか深く考えることが必要な場面が多い。
 そんな時に深いところまで考えたなあと自己評価できる時はどんな時だろうか。

 深いというのは、目的に対して手段を、問題に対して原因を、思考をツリーにして4段階ぐらいまで細分化することだと単純には言えるね。
 またある事象が時間をかけて変化するときに4段階以上の質的変化を想定できた時にも言える。
深いというのは細分化であり、将来の中長期的な想定だと単純には言えるね。今までのここどまりの議論をしてきた。


 でもこれだけではもの足りない。

 これらの作業を通じて個々の要素の軽重(影響力)が指摘され論点化できるとさらに深いと言えるね。それは単純に事象の危機的影響力ばかりでなく、人間的側面、心理的側面の指摘ができることではないだろうか。人間の意欲や能力を視野に入れて議論できるか、個々人の性格をいれて議論できるか、それらの人間同士のダイナミズムをも影響因として見ることができるか。分析的思考というのはここまでやりたいね。
 
 いやあこれだけでももの足りない。

 そもそもこの目的、テーマは正しいのか前提をひっくり返すことも大切だよね。アージリスの「二重ループ学習」と言うやつね。高次の目的、価値観から考え直し、環境と意志のバランスを考える。これが最も大事で僕に欠けている、気づいているけれど行程の複雑化を避けてふれようとしない部分だよ。

 ここまで深い思考をしようよ。