複数の顔を持つこと、複数の専門家であることの意味は大きい

 人間の関わりは複雑だ。一般に会社員の顔、父の顔、夫の顔、子供の顔いくつもの使い分けで自分の社会的機能を表現することになる。僕の場合、複数の顔は自分の仕事にも現れている。マーケティングの実務家としての顔、心理分析家の顔、組織活性研究者の顔、経営者の顔…自然にこういう専門性を身につけたのだけれど、これらの専門を持つことは合理的だと考えるようになった。


 僕は、誰かと面した時に、その相手が求める機能と自分の役割によって表出すべき機能を分けているように思う。


 機能というのは単に専門性ではなく、マーケティングのような社会的影響力の発揮という外面から話しをしたほうがいいのか、心理や組織経営のように自分や自分の所属組織を内省し合理的に解釈する内面に解決を進めたらいいのか、概ね分かれているように思う。


 最近の自分は、市場環境のような外面から話をされる方には内面分析を、会社の組織の現状から話をされる方には外面分析をこころみ全体整合性を見てある結論を得るようにしていると思う。


 外因と内因の両面というか、誘因と動因の両面というか、工学と理学の両面というか、そのような組み合わせが効果が高い。つまり視点をいつもずらせるようにしておくというのが、もののもっている多様性という名の気づきを誘発してくれるように思う。