息子と対話して世の中の状況が少しみえた。自分も見えた。

息子は高校生だが、この世代には妙な論理性があるものの
価値観形成において非常に弱いと感じた。


価値観というは、人生の岐路に立たされることで得られるものだ。
戦争がそうであったし、近親者や大切な人たちの病や死が生きることの意味を問う。
貧乏や恵まれぬ人たちの生死もまた生きる意味を問う。
特に若い時は、世の中の構造がわからぬし、血の気も多く、必要以上に価値を自分や周囲に問うたと思う。


今の時代はそのような価値を問わねばならぬ状況があまりに少ない。
人が人として生きる意味を問うことがあまりに少ない。
目的があればこそ人生は充実するし、目的そのものを問い返すこともできる。
目的のない人生は辛い。
刹那では生きにくい。一時のいきすぎた享楽はのちに反動を生む。


宗教であれ道徳倫理であれ、生きる意味を問うことを生活の中に定着させないといけない。
繰り返し繰り返し伝えて飽きることがあってはならないと思う。
自分のために生きるのではない、人のために生きるのだと。
人は生かされているのだ。


結局、人も社会もつまるところが何が価値なのかということを共有することにあるのではないかと
ようやく気づいたしだいだ。
父もまた経験を通じそこから学び父らしくなるのだと感じた。