余暇はいらない?!

こうやって連休というものがあるから、余暇とは何かと考えてしまう。
そもそも<余暇=あまった暇な時間>というものの必要性を感じてこなかったからか、僕は余暇否定論者だ。
集中的に頭を使い処理能力が落ちた時に頭と体にエネルギーを充実させるために休息が必要なことはわかる。
しかし法定休日だから休まないといけないという発想は無用だと思う。
映画を見ないといけない、美術館にいかないといけない、理由は休日だから?
これは本末転倒だ。休日利用という手段をたくさん作ろうとしているが目的が曖昧なままだ。
まして、休まないといけない、旅行しないといけないと義務感に感じる必要など皆無だと思う。
(いやいやそういう気持ちに時々なるので、自戒の意味をこめて)


仕事であれスポーツであれ趣味であれ目的目標があって
目標達成のために行動しているとすればそれは余暇とは言い難い。目的目標を持った趣味やスポーツに休日を大いに使うことには大賛成だ。
余暇というより、複数の人生を持っているという言い方がよいように思う。
複数の人生を歩むために、労働契約日以外を有効に使い第二の人生、第三の人生を同時並行に楽しむということだろう。
僕は専ら生涯の研究テーマである<プロアクティブ(事前思考、根源的な計画法)>についての研究を進める。
生涯の研究というと目標が明確にならないので、ある資格をとろうと考えている。将来資格ビジネス化することで研究に拍車をかけるためだ。


人生はそんなに長くないし、意外に後半の人生は時間感覚が変わりとても短い。
だとすれば、思い切って余暇の概念から自分を解き放ち、目的目標のための集中行動日にしよう。
(自戒の意味をこめてね)